薬剤散布始まる2015年06月19日 04:40

念のため4時半に陸上競技場前へ。
いつもは5~6台なのに今日は10台ほど多い。入るのを止める係の人?もいた。

先日の地図によれば、今日19日の散布場所はジョギングコースの内側だから、ここまでは飛んでこないだろう。しかも今日は風上。
ここ(能代駅から真っ直ぐ来た入口)から入ってもジョギングコースに行き着くのだが、地図が1枚画鋲で留めてあるだけだった。

毎日歩いている人は心得たもので、先ほど陸上競技場脇で会った人は、薬剤散布が始まって監視員?がいることがわかると、萩の台線沿いの歩道を歩いていた。

長慶寺脇から入る入口

長慶寺脇の鳥居のある入口には新しい看板があった。
この看板を撮影している時にやってきた知人は、この看板は昨日はなかった。今日初めて立てた(結びつけた)ものだと言った。しかし私達が今日とか昨日とか言うのは午前5時とか7時とかの話だから、昨日の午前8時過ぎに結びつけられたのかもしれない。

この看板で散布薬剤が「エコワン3フロアプル」だとわかった。また、「散布最終日から3日間は入林を禁止します」とも書いてある。薬剤散布は正午までに終わるから、午後は散策しても大丈夫というわけではない。

この看板の下の方に地図が1枚貼り付けられていた。この地図を撮影して拡大するとこうなった。

90周年招待野球2015年06月19日 17:52

 母校の90周年記念招待野球が行われた。硬式野球部・軟式野球部とも専用の練習場を持っているので、招待野球も硬式・軟式両方一緒だ。80周年の時もそうだった。平成4年には両部揃って全国大会に出場している。
この写真は6月20日の地元新聞の記事(写真をクリックすると写真が拡大します)
硬式野球は37期の山田久志氏の名前を冠した「山田久志サブマリンスタジアム」で開催、記念セレモニーは午前11時から行われた。

この「一球入魂」の制作者は「自在の像」の制作者と同じ戸松恭一氏(29期)。

森田新一郎同窓会長(40期)のあいさつ。



菊池一二三校長(45期)の挨拶


セレモニー終了後、今度は軟式野球の会場へ移動。場所は三種町鹿渡にあるスカルパ野球場。スカルパとはスポーツ、カルチャー、パークを組み合わせた造語。
軟式野球の記念セレモニーは12時10分から行われた。実行委員長でもある森田新一郎同窓会長(40期)のあいさつ。

整列した手前から作新学院、羽黒高校、本校の選手たち
あいさつする森田会長を角度を変えて撮影。

菊池一二三校長(45期)あいさつ

応援する生徒たち
当初の計画によると、生徒の応援は能代球場12クラス、スカルパ球場6クラスと予定されていたから、同じ時間帯に能代球場でも生徒たちが応援合戦をしているだろう。
 能代球場で記念セレモニーが終わったのは11時10分頃。能代球場を出てくる時、第2試合の開始は12時からと放送されていた。

一塁側は本校の応援。人数はこれで3クラス?同窓会長の姿も見える。

三塁側は作新学院の選手の名前を叫んで応援していた。
吹奏楽部の生徒たちも能代球場での応援とスカルパ球場での応援と二手に分かれていた。

5回終了時点でのスコアボード。試合はセレモニーの後12時40分試合開始と放送されていた。能代球場のメインポールには能代高校の旗がたなびいていたが、これはどこの旗だろうか?

この応援風景は6回ウラ能代高校の攻撃時のもの。得点できるチャンスだったのに惜しかった。

終了時のスコアボード。1対1の引き分けとなった。

あいさつする作新学院の選手たち
能代高校の選手たち

それから能代球場に引き返して能代対青森山田の試合を4回オモテから観戦。この試合では生徒の応援なし。



7回オモテには同点になるチャンスがあったが、本塁寸前タッチアウト。私の周囲では「なぜスライディングしなかったのか」と話していた。
8回ウラには投手が3人目に交替。背番号なしの投手が登場した。
9回オモテの代打

その後最後の打者が凡退し試合終了


この試合で10数年前に同職した先生に出会った。息子さんが能代高校の硬式野球部にいるのだそうだ。

昔、秋の高校野球だった。田代球場で、途中降雨で数10分の中断があり、その後再開されたが、延長15回引き分け再試合となった試合があった。
 午後の試合だったので私は逆光を避けて1塁側スタンドにいた。当時私が作っていたホームページに掲載したが、3塁側スタンドで最後まで応援していた幼い兄妹がいた。画像で紹介したが、あの子供が高校2年になったのだという。そのホームページはもう解約したがページ自体はCDで保存しているハズだ。
 その先生に関する思い出はもう一つある。福祉の全国大会で一関市に出張したことがあった。宿舎近くの一関市文化会館では全国俳句大会が開かれていた。福祉教育全国大会の会場は一関二高。会場の窓から見える紅葉がすばらしかった。
 研究大会終了後の懇親会で、私が乾杯のあいさつをすることになり、全国俳句大会にちなんで、俳句を一句詠んで挨拶に代えた。その後気仙沼に本店のあったあさひ鮨の支店で二次会をやったので、どんな俳句だったのか、覚えていなかったが、今日会った先生が覚えてくれていた。
 もみじばに 福祉かがやく 一ノ関
そうだ思い出した。その年は宮城国体のあった年だ。宮城国体で気仙沼に行き、教育長に就任したばかりの先輩に会った。国体のレセプションから戻ってきたばかりの先輩と、先輩の友人の店だというあさひ鮨で飲んだのだった。その支店が一関にあり、宿舎の近くだった。宿舎の名前は蔵ホテル。