三面球場でクマ目撃2016年06月01日 13:22

昨日は大開浜国有林近くの砂浜にハマエンドウの観察に行こうと思っていたのだが、昼ごろに友人から電話があり、「三面球場にクマが出たので注意して」と言われた。
私は出掛けるのを見合わせたが、アリナスにトレーニングに行った人の話では、パトカーや消防車がたくさん来ていて、物々しい光景だったと言っていた。
昨日はテレビニュースにはならなかったが、今朝の北羽新報ではこのように報じられていた。

昼ごろパトカーか消防車か不明だったが、サイレンが何度も鳴ったので、「6月1日だから何かの訓練をしているのだろう」と思っていたら、どうもまたクマが出たらしい。今度は南中の付近だという話が出ていた。

念のため昨年のブログを見ると6月4日の項に「落合浜にクマ出没」と出ていた。

大開浜クロマツ植林2016年03月19日 11:58

今日は昨夜からの雨で、散歩は早くから中止を決め、錦織とナダルの試合を見てからひと休み。

昨日の北羽新報のクロマツ植林記事を紹介する。

今年は行っていないが、昨年は何度も行ったので、このブログページ右側にある<カテゴリー一覧>から「大開浜国有林」をクリックすると大開浜のブログを読むことが出来る。




大開浜にクマ出没2015年06月04日 20:16

今日の北羽新報にこんな記事が載っていた。

昨日、大開浜に行ったのは午前10時~10時30分。午後にはクマが出没したとは驚きだった。

「砂浜を車で走行していた」「海方向から砂防林方向へ」「海潮園まで300m」からすると、私が昨日歩いた大開浜国有林ではなく、それに隣接する旧海水浴場近くの県有林の方だと思うが、詳しいことはわからない。

昨年4月には、風の松原中心部にニホンカモシカが出現したことがあった。あの時は3日ほど風の松原に居座っていた。
ニホンカモシカがどこから来てどこに消えたのかは誰もわからない。
平成11年にニホンカモシカが能代高校の校舎のまわりを走り回ったことがあった。あの時は「相染森方面から来た」と報道されていたが定かではない。

クマだって米代川を泳いで来るのではないか?

私は、「風の松原ほど安全な場所はない」と思っていたが、クマが出没するとなると、早朝からの林内散策は難しくなる。

向能代の松林2015年04月23日 07:02

今日は久し振りに大開浜国有林へ

入口にはゲートが設置されているが、管理されているわけではないので大抵は脇に出入りしている跡がある。

冬に来た時は何か工事をしている感じだったが、現在はそういう様子はみられない。この看板には国有林の住所が「153林班」と書かれている。面積は27.6ha。
後谷地国有林の場合はいくつもの林班に分かれているが、ここは面積が狭いので林班も1つだけ。

主要道路はここだけ。河口側から旧海水浴場近くまでほぼ一直線に続く道路。今日は誰とも出会わなかった。

ここで、林の中の海側に何か見えたので入って見た。

覗いて見ると木の根っこ。2方向から撮影したが、大きなものだ。日本海中部地震の時の津波で運ばれてきたもの。


南側の出口にもゲートがあった。しかし脇から出入り自由。

その外側は分厚い砂地だが、タイヤ痕が残っていた。

ゴミの袋が4個放置されていた。

ここでも小径が出来ていた。毎日歩いている人がいるようだ。

対岸の下浜が見える。

大開浜の様子(3)2015年02月24日 15:20

まず大開浜の先端まで行こうと、堤防を通り砂浜を歩いた。
ここが砂浜の先端。午後3時を過ぎると砂浜に映る影が長くなってくる。
これは木の根っこだ。

この木の海側に回り込んで、松林の米代川の端を撮影。
私の影が少し写ってしまった

白神山地の方を見ると向こうに向かって歩いている人が1人。右側にドームのように見えるのは、旧落合海水浴場の施設。

南側を見ると2本の風車の間に火力発電所の煙突が見える。


松林よりも海側には波消しブロック

このブロックは平成20年度に設置
また私の影が写った。

ここが大開浜へのゲート
また私の手が写っている

15:36 これが昭和59年に設置された暴風柵。日本海中部地震の翌年の設置だ。
先ほどのブログ「日本海中部地震の遺物」はこの暴風柵よりも陸地側にあるから、地震で運び込まれたことがハッキリしている。

この柵より海側のクロマツ。

15:52 ここが昭和59年度の暴風柵の北の端。
このフェンスの長さは1400~1500m位か?
更に道路が続いていたので、進んでいくと、

この先に木製の柵を見つけたので上ってみると

柵の間にカメラを入れて向こう側を撮影すると旧落合浜の駐車場が見える

フェンスはこのようになっていた

入口近くまで戻って来てから1メートル間隔の松林を撮影すると
これは北側を見て撮影、ここからでも1000メートルも続くのだ。

こんどは南側を撮影。こちらは400m位奥行きがある。

日本海中部地震の遺物2015年02月24日 14:20

昨日、今日と人間ドックに入っていたが昼で帰って来たので、午後から散策。今日も大開浜に行った。
今日は、先日も行ったこの場所から左側に進む。この写真左端の奥に根株が3個あった。
この松林の根株には似合わない。クロマツの太さとまるで異なる。
これは日本海中部地震の際にこのクロマツ林の中まで流れ込んだ遺物である。
一番大きいのはこれ。測ってみると、
一番長いところで1メートルあった。
次に大きいのはこれ。これも太い。


それに対し、この付近のクロマツの太さは直径20センチが最大だ。

別の場所にはこういう根株もあった。

これも巨大だ。メジャーをあててみたが測りきれない。
根株の上を松葉が覆っていて測るのが難しい。150センチくらいはある。

昭和58年の日本海中部地震の時にはすぐ近くの向能代地区(落合地区)への津波の浸入を食い止めた風の松原のクロマツ林だったが、東日本大震災では高田松原に残された奇跡の1本松のようにクロマツ林は壊滅的な打撃を受けた。
そのため、「根こそぎ抜け、凶器となる」といった極論も現れた。
それは、朝日新聞2013年4月27日の土曜版Beに掲載された「磯田道史の備える歴史学」である。(下の記事は同月の縮刷版から引用した)
この記事は、当初神奈川県藤沢市に住んでいた友人の奥様からfaxで送られてきた。すぐに電話もあり「新聞にこのように書かれているが、能代はクロマツを切らなくても大丈夫か」というものであった。
 私は、能代では日本海中部地震の時に、あの松林のおかげで向能代(落合地区)が助かった。松林の近くには、奥さんも知っているように大きな総合病院があり、あの病院が被害を受けていれば大変だったろうと話した。
 大開浜砂防林については鈴木重孝氏の「津波から落合地区を救う」という文章が、地震のあと昭和58年7月13日と15日の2回「北羽新報」紙に掲載されている。ブログでは紹介が難しいので、後から別のホームページ等で紹介したい。
 なお、磯田道史氏は『武士の家計簿』などの著書があり、「備える歴史学」は朝日新聞土曜日の「Be」に2013年4月6日(土)から2014年9月27日まで毎週のように掲載された。


ところで、昨日と今日、人間ドックで検査を受けたのは落合地区の総合病院ではなく、この病院。
宿泊したのはこのホテルだった。

大開浜の様子(2)2015年02月22日 11:20

松林を抜けると砂浜。海側には堤防?の柵が見える。
白神山地方面を遠望すると

防波堤の柵は


海を見ると消波ブロックのない場所もある。

北側に100メートルほど進むと新しい柵が見えてきた。

これは植林したばかりの松苗だ。入口の「治山工事中」の看板に工期は27.1.20~27.3.20と書いていたから植えたばかりだと思う。

横(左側へ)に20本、奥(右側へ)に10本が1メートル間隔で植えられていた。

今年のものが3列あり、その先は昨年のものか
このマスの生育状況はあまり良くない。

しばらく北に進むとマスからはみ出して成長しているクロマツもあった。

ここは成長した本数が多い。何年前のものだろうか。

その隣の生育状況はあまり良くない。

堤防の柵に目をやると
昭和58年というのは5月28日に起こった「日本海中部地震」のことだ。この時は震源地は能代沖で、被害も能代が一番大きかった。津波の被害で防波堤工事に従事していた人たち30数人が犠牲となった。ここ大開浜国有林は津波を防いだことで有名だ。林内に証拠となるものも残っているが、それは別の日に紹介しよう。


1マスは横20m、奥行き10mだったが奥行きが何洌になっていたかは数えなかった。4列か5列。

堤防の柵も鉄製の古いものは破れているものもあった。

ここが植林地の終点。今日の北羽新報によれば平成22年から始まった事業とのこと。ここは平成22年だろう。


植林地の終点の先はクロマツではない別の木が植えられていた。
これは何の木?

帰りに20m×10mのマスは昨年までのものが32×4段?、今年のマスが3×4段?だった。
一番生育がよかったのはこのマス。

歩いてきた堤防の柵はこのようになっていた。


大開浜の様子(1)2015年02月22日 10:10

昨日ロケットセンター方面に行ったので、今日は向能代の大開浜へ出掛けた。ここも風の松原である。最初に風の松原の全体像を示す鳥瞰図。
この地図で米代川河口のすぐ上の一画が大開浜である。大開浜は国有林。
今日は写真を撮り忘れたが、昔、ここにサニーランドという大型の温泉付き娯楽施設があった。三面球場の近く。左側は太陽光発電の大きな施設。この道路の右側にある<ことりの郷>という有料老人ホームが目印になる。

こんな大きな看板が出ているのでわかりやすい。そこのゲートから30mほど入ると広場がある。

この案合図はペンキで描いたのではなく、写真を貼り付けたらしい。そのため脱色しており、どんな地図が書かれていたのか不明。

広場にはこんな看板が立っていた。「水土保全モデル林」
「ごみ捨て禁止」の看板があちこちに立っているということは、近所の人は限られているから、わざわざここまで軽トラなどで捨てに来た人がいたんだろうな。

これが海(西)に向かう直進路。

こちらは北に向かう直進路。

クロマツは整然と並んでいる。木と木の間隔は1メートルほど。

海(西)へ向かう直進路を通り抜けると、こんな広い空間。将来防火帯になるのだろうか。

この防火帯(?)から南を見ると風車が見える。この風車は昨日「白神山地と風車」で最後に紹介した下浜漁港近くの風車だった。

反対方向(北)に目を向けると真瀬岳がみえたので、望遠側で撮影。

更に海に近づく道があったので直進。

林内には等間隔で支柱が立っている。

木の間隔を測るとやはり1メートル。

雑木が生えていないので林内が実にきれいだ。
松林を抜けてから振り返ると、
大開浜の様子(2)に続く。