渟美会展 ― 2017年10月22日 23:01
大高孝雄君の画業 ― 2017年10月01日 23:02
先日、このブログに「平成21年の写真 大高孝雄展」を書いたあとで本人から写真資料をいただいた。そこで「新・風の松原を歩く」.というブログの中に「大高孝雄君の画業」というカテゴリーを作り、そこで紹介したい。そのブログの方が多くの写真を表示することが出来る。
平成21年の写真 大高孝雄展 ― 2017年09月19日 22:17
昔、廃校となった旧八森小学校で大高孝雄君の個展が開かれたことがあった。
そのことを思い出して大高君にメールしたところ、開催期間は平成21年7月5日~8月16日までだという。そこで写真データを探したところ次の写真が見つかったので紹介する。
個展の会場となった旧八森小学校
私が行ったのは初日 大高孝雄君は受付で新聞記者から取材を受けていた
大高君の経歴が紹介されていた
会場の一部
小学校の思い出もそのまま残っていた
松源院の天井画も特別展示されていた
これらの写真はもっと拡大表示が可能な「新・風の松原を歩く」にも掲載。
「天空の不夜城」 ― 2017年09月13日 22:06
渟美会展 ― 2017年06月10日 12:15
海を描く 大高孝雄作品展 ― 2017年05月01日 21:49
このweb作品展は、5月1日から6月29日まで深浦町美術館(電話0173-74-3882)で開催されている 「海を描く 大高孝雄作品展」を本人及び深浦町美術館の許可を得て5月1日に撮影したものです。
(1日の掲載写真数が限られているので、作成に数日掛かる予定です。全部掲載出来れば最後に「御礼」を掲載します。5月2日夜に掲載を完了しました)
作品1 自画像 1984年 F15
40歳の時に書いた自画像と向きあう本人
作品2 チゴキ崎 2016年 F15
作品3 沢辺海岸 2007年 F10
作品4 日本一短いトンネル 2009年 F15
作品5 貴重な岩場 2017年 F15
作品6 荒れる海 2003年 F50
作品7 繕う船人 1987年 F60
この写真で絵の大きさの違いがわかる
作品8 荒海(Ⅰ) 2016年 F100
作品9 波の花咲く 1989年 F60
作品10 波濤 2017年 F100
作品11 海(Kai) 2010年 F30
作品12 荒海(Ⅱ) 2013年 F100
作品14 日本キャニオン F100 当美術館所蔵作品
作品15 ブナ林の秋 2005年 F60
作品16 白神登山道のブナ F100 当美術館所蔵作品
作品17 波動 2016年 S100
作品18 待春2014年 F100
作品19 柱状節理 2011年 F30
作品20 スノーブリッジ 2012年 F100
作品21 語る 2015年 S100
作品22 北の海 2017年 F10
作品23 ブラックサンドビーチ 2013年 F30
作品24 犬吠埼灯台 2009年 F30
作品25 冬の手這坂 2007年 F8
作品26 汐ヶ島 2017年 F8
作品27 早春 2016年 F8
作品28 早春の岩木山 2013年 F6
作品29 積丹ブルー 2012年 F10
作品30 磯 2007年 F8
深浦へ ― 2017年05月01日 12:07
予定では昨日届いた説明書を読んで書類を作るはずだったが、昨夜届いた説明書を今朝になって読み始めたら、中味が古い。
作成年を見ると2006年。
……2006を私が勝手に2016と勝手に読み違えていたのだ……
そこで予定を変更、今日は深浦美術館に行くことにして出発
カーナビに0173743882と電話番号を入れて出発。
到着したのは深浦町役場
回りを見ても美術館の看板はない
そこで役場に入って美術館の場所を尋ねると「道路を挟んだ向かいの建物です」との返事
作成年を見ると2006年。
……2006を私が勝手に2016と勝手に読み違えていたのだ……
そこで予定を変更、今日は深浦美術館に行くことにして出発
カーナビに0173743882と電話番号を入れて出発。
到着したのは深浦町役場
回りを見ても美術館の看板はない
そこで役場に入って美術館の場所を尋ねると「道路を挟んだ向かいの建物です」との返事
確かに向かいに立派な建物があった
玄関に近づくと「海を描く 大高孝雄 作品展」の文字があった
玄関を入った脇には入館料の表示もあった。
4月19日に届いた案内ハガキには「この葉書を持参致しますと優待入場出来ます」とあったのはこのことかと思った。
4月19日に届いた案内ハガキには「この葉書を持参致しますと優待入場出来ます」とあったのはこのことかと思った。
三館共通入場券というのは、この美術館と、ここから円覚寺まで歩く途中にある「太宰の宿 ふかうら文学館」と「風待ち舘」の共通入場券のことらしい。
以前、太宰の研究で、確か「秋田屋」という旅館に宿泊して説明を聞いたことがあったが、その旅館がふか「うら文学館」となっているのかもしれない。「風待ち舘」には昨年立ち寄ったことがあった。円覚寺のすぐ下にあった。円覚寺も見学したことがあったが、あそこは「海浦」という姓だったと思う。
ここが会場の入口
ここが会場の入口
展示が右回りか左回りか よくわからないが、自画像を演示しているからここが最初だろう
大高孝雄氏は1944年生まれ、自画像を描いたのは1984年。40歳の時だ。
この時は同じ八峰町の工藤英美氏と一緒に来ていた。
この時工藤英美氏はこの絵について説明していた。
なぜ岩がこのように「中間部が欠けるのか」というものだった。
この絵が描かれた場所は、私が後から行った道の駅ふかうらの
この絵が描かれた場所は、私が後から行った道の駅ふかうらの
この場所なのだが、工藤さんの説明を聞いて波動力学?がわかって面白かった。
というわけで、説明順は逆になってしまったが、深浦町みちの駅かそせへ
というわけで、説明順は逆になってしまったが、深浦町みちの駅かそせへ
最近のコメント