健康づくりのみち ― 2015年02月03日 14:35
幹の途中から折れたクロマツ ― 2015年01月26日 10:35
休養広場 ― 2015年01月07日 15:45
歩道を覆うミゾソバ ― 2006年07月29日 07:24

ウッドチップを敷いた健康づくりのみち。今年作られたばかりの道は幅2メートルだが、現在では写真のように1メートル近くに狭まっているところもある。
それは砂地を掘り起こして工事した跡一面にミゾソバが我がもの顔に増殖しているからだ。中には歩くのに邪魔になるのか、刈り取られた場所もある。
いこいの広場近くの車道沿いでは昨日草刈り作作業が行われたようで、車道から30~40メートルの幅は一面に刈り取られた草が残っていたが、少し中にはいるとこのような状態である。
健康づくりのみちNo.12番地点 ― 2006年06月21日 07:47

ここまで作成したのだから、最後のNo.12地点まで書いてしまおう。今日は旧八森町の留山に行く予定があり、今朝は散歩に行かなかったので写真は昨日の朝7時47分に撮影したもの。
写真でわかるようにこの付近のクロマツには沢山のツタがからみついています。秋になると素晴らしい紅葉の場所ですが、昨年まではここにあった作業用道路が藪状態で夏の間は進むことが困難でした。
五月のある日、この道を歩いていると、No.11方向から下ってきた人が標識板を見つめて首をかしげていました。話しかけてみると、「ここからどちらに進めば車道に出られるかわからない」というのです。その時には地図を1枚差し上げて別れましたが、あとから物語を考えてみるとこうなります。
(これは私が考えたストーリーですが)陸上競技場脇に車を駐めて林内に入った。地図があって標識に誘導されるままにここまで来た。ところがNo.12地点の標識を見ると、No.11に戻る標識しかない。はて、どうしたらいいのか、どちらが東か西かもわからなくなった。
この写真はジョギングコース側から撮影しているので、標識柱が2本、地図柱が1本見えますが、No.11側から坂を下ってくると、健康づくりのみち標識柱しか目に入りません。地図柱は裏側になっていてしかも古くさい色で目立ちません。
この地図柱は風の松原(後谷地地区)に20数本あると思います。板の大きさも3種類ほどに分かれています。(それも調べたことがありますので「風の松原を歩く」のどこかに書いてあるはずですが今は思い出せません)。その中に1本だけ鮮明な地図があります。場所は陸上競技場脇からジョギングコースを進み55番から42番に抜け、そのまま海側に進んで港湾道路に出る場所です。
あの地図は鉄板か何か錆びない材質の板に書いて木の板に張り付けたものです。その方法で新しい地図を作り、これまでの地図柱に貼り付ける、表裏両面必要な場所には両側から張り付ける工夫をすれば、散策者も迷うことが少なくなると思います。先日能代ロータリークラブが書き直してくれたような大きな案内図(ジョギングコース3番地点付近)も必要ですが、1度見た案内図を一度で覚えてしまうのは難しいことです。小さな案内図が主要ポイントに立っていればありがたいのです。
写真でわかるようにこの付近のクロマツには沢山のツタがからみついています。秋になると素晴らしい紅葉の場所ですが、昨年まではここにあった作業用道路が藪状態で夏の間は進むことが困難でした。
五月のある日、この道を歩いていると、No.11方向から下ってきた人が標識板を見つめて首をかしげていました。話しかけてみると、「ここからどちらに進めば車道に出られるかわからない」というのです。その時には地図を1枚差し上げて別れましたが、あとから物語を考えてみるとこうなります。
(これは私が考えたストーリーですが)陸上競技場脇に車を駐めて林内に入った。地図があって標識に誘導されるままにここまで来た。ところがNo.12地点の標識を見ると、No.11に戻る標識しかない。はて、どうしたらいいのか、どちらが東か西かもわからなくなった。
この写真はジョギングコース側から撮影しているので、標識柱が2本、地図柱が1本見えますが、No.11側から坂を下ってくると、健康づくりのみち標識柱しか目に入りません。地図柱は裏側になっていてしかも古くさい色で目立ちません。
この地図柱は風の松原(後谷地地区)に20数本あると思います。板の大きさも3種類ほどに分かれています。(それも調べたことがありますので「風の松原を歩く」のどこかに書いてあるはずですが今は思い出せません)。その中に1本だけ鮮明な地図があります。場所は陸上競技場脇からジョギングコースを進み55番から42番に抜け、そのまま海側に進んで港湾道路に出る場所です。
あの地図は鉄板か何か錆びない材質の板に書いて木の板に張り付けたものです。その方法で新しい地図を作り、これまでの地図柱に貼り付ける、表裏両面必要な場所には両側から張り付ける工夫をすれば、散策者も迷うことが少なくなると思います。先日能代ロータリークラブが書き直してくれたような大きな案内図(ジョギングコース3番地点付近)も必要ですが、1度見た案内図を一度で覚えてしまうのは難しいことです。小さな案内図が主要ポイントに立っていればありがたいのです。
休養広場360m地点 ― 2006年06月21日 07:43

先ほどの「休憩用いすスペースか」の場所を更に50m程上るとこの道路の最高点地点に達する。ここにある標識は古い標識で「休養広場360m地点」と書かれているが、私が歩き始めた一昨年は標識の板がもう一枚付いており、それにはたしか「いこいの広場○○m」と書かれていたと思った。「風の松原を歩く」で調べてみると04年12月29日の記録に初めて登場している。しかし標識板は1枚しか付いていなかった。標識の方向については詳しく書いているので下のURLを開いて読んでください。
http://www.ne.jp/asahi/sky/kappei/matsubara/sokuseki/aruku04/sokuseki04_12/sokuseki04_12.html
29日の写真4に今日と同じ場所の写真が出ています。
このもう一枚の板は、今年4月にこの場所に行ったときには標識の下に置いてあったが、今は雑草に埋もれているのか気付かなかった。古い写真を探したがなかなか見つからない。あとでもう一度調べてみよう。
休憩用いすのスペースか ― 2006年06月21日 07:41

No.11地点からNo.12地点へ向かう場合は100m程上りになるが、その途中に写真の場所がある。このような場所はNo.8地点からNo.2地点に向かう場所にもあるが、これは1年目の工事でNo.1、No.2、No.3、No.6の4箇所に標識と兼用の形でベンチが設置されたのと異なり、能代市が休憩用いすを設置するためのスペースらしい。
いったい休憩用いすはいつごろ設置されるのだろうか。
健康づくりのみちNo.11地点 ― 2006年06月21日 07:39

今朝も天候は昨日と同じ。昨夜は強い雨音も聞こえていたので散歩には行かずにパソコンに向かった。
写真も文章も昨日20日に撮影したものをそのまま使用。写真の時刻は7時39分。日付だけを21日に直した。
No.10からNo.11へ直接進む場合は、No.3地点まで進んで左折し150m程でNo.11番地点に到着するのだが、今日はNo.4まで行ってそこからNo.11に向かった。このウッドチップ歩道を作る工事の時に道路脇5m程に生えていたニセアカシアなどの雑木を除伐していたのだが、そこにニセアカシアの新芽が大きく成長していた。夏休み頃までこのままにしておけば散策の邪魔になってくると思う。
こんな観察をしながら200m上って左折するとNo.11地点だ。写真を見ればわかるとおり、標識の後ろは雑木林状態。
写真も文章も昨日20日に撮影したものをそのまま使用。写真の時刻は7時39分。日付だけを21日に直した。
No.10からNo.11へ直接進む場合は、No.3地点まで進んで左折し150m程でNo.11番地点に到着するのだが、今日はNo.4まで行ってそこからNo.11に向かった。このウッドチップ歩道を作る工事の時に道路脇5m程に生えていたニセアカシアなどの雑木を除伐していたのだが、そこにニセアカシアの新芽が大きく成長していた。夏休み頃までこのままにしておけば散策の邪魔になってくると思う。
こんな観察をしながら200m上って左折するとNo.11地点だ。写真を見ればわかるとおり、標識の後ろは雑木林状態。
飛砂に埋まったクロマツ ― 2006年06月20日 07:28

No.10番地点から健康づくりのみちを上り始めると、途中道路の木枠に付くようなクロマツがある(写真真ん中のクロマツ)。根元を見ると穴があいているように見える。実はこの2月に工事をするまではもっとハッキリと穴を見ることが出来たのだが、今はそれほどでもない。
この付近は大正年代に飛砂の害を受け、大森稲荷神社の鳥居も砂に埋まってしまった程の場所である。そのためかこの付近は老齢林地域なのにクロマツの本数が少ない。まるでニセアカシアの保存地域の感じがするのだ。
道路右側(北側)が急な斜面になっている場所で、神社の参道も北(清助町方面)に向かっていた。以前営林署に勤務した人がこのクロマツの根元を掘り下げたことがあった。6メートル掘り下げてもクロマツの根が現れなかったそうである。ということはこの付近のクロマツは大正時代に吹き荒れた飛砂によって6メートル以上も埋められてしまったことの証拠だろう。
健康づくりのみちNo.10地点 ― 2006年06月20日 07:26

冬の間は主にここから山に入ったのでおなじみの場所。入り口(はいりくち)右半分はほとんどニセアカシアだ。つい2~3日前(6/17)の地元新聞1面コラムに「アカシア花盛り」が掲載された時には既にアカシアの花は終わっていたから、今朝のこの写真を見ても花の白さも、盛りを過ぎて茶色に変色した姿も全く残っていない。
そういえば、5月、カスミザクラが咲き誇った時も新聞に掲載された時には終わっていた。その日は一眼レフを持って歩いていた時だった。「久しぶりに地元に戻ってきたらカスミザクラのニュースが出ていたので来てみたが、どこに行けば見ることができますか」という質問。なぜ私に聞いたのかを尋ねると「カメラを持っている人だからきれいな花がどこに咲いているか知っていると思った」という。「もうカスミザクラは終わりましたよ」というと残念がっていた。
こういう季節ネタを新聞に掲載するのは難しいことだ。私も何度か引っかかったことがある。以前は日曜日しか探訪に出掛けることができなかったから、新聞に出てから出掛けても間に合わない。新聞に写真が載る時は最盛期なのだから、その日か翌日でないと間に合わないのだ。
それでもニュースとして掲載される場合はまだいい方だ。今回の1面コラムなどのように執筆者が何人かいて、交代で執筆している場合に「アカシア花盛り」のように掲載された時には盛りを過ぎていたことが起こるのではないか。
<午後9時半 追記>
ニセアカシアについてはコラムだけでなく、記事も読んだことがあるなあと思って地元新聞を見ると、なんと昨日19日の北羽新報に写真入りで『純白の花が見ごろ』という記事が載っていた。写真の撮影場所は日陰の方向から見て東側に民家が建っており、道幅が狭いので特定できないが、本文には「風の松原内も今が見ごろで・・・」と書かれていた。はて、どこだろう?
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