河北新報で紹介2015年02月19日 15:47

昨日、仙台の友人から郵便が届いた。開けてみると1月25日の河北新報が入っていた。この記事があったから送って寄越したのだ。



この記事をアップしたら文章をハッキリ読むことが出来たのでびっくりした。
しかし森林管理署や能代市の公式文書でもそうなっているのだろうが、私が一番気になるのは最初の部分。「760ヘクタールに広がる700万本の人工クロマツ林」という表現だ。

クロマツが生えている密度を考えると、「1ヘクタールに1万本」というのとほぼ同じ。1ヘクタールは10,000平方メートルだから、1平方メートルに1本というのとたいして変わらない。しかも昨日のブログで紹介したようにクロマツには太さがある。760ヘクタールに700万本」といえば、枝と枝が密集し、間を歩く余裕もないほどクロマツが密生している姿を想像してしまうのは私だけだろうか。

以前、100メートルの紐を用意し、比較的ニセアカシアなどの雑木が生えていない場所(No.11地点からNo.4地点に向かう左側)で、「25m×25m内にクロマツが何本生えているか」を調べたことがあった。皆さんも調べてみるとわかると思います。

そこで私が作ったリーフレットには次のように書きました。

現在でも風の松原近くの県有林ではクロマツの植林をしている場所があると思う。私が見たのは10年近くも前、クロマツは1.8メートルに1本ずつの間隔で碁盤の目のように植えられていた。後でその時の写真を探して紹介しよう。

私の推測では、700万本というのは単なる語呂合わせではないかと思う。松は間伐しなければ育たないし、植林したものがすべて成長するわけではない。秀吉のようにして数えたわけでもないだろう。

文中に1943年8月下旬の日曜日に出火した山火事の話が出てくる。その時小学生だった安井さんは親御さんに連れられて見に行ったのだろう。その時に焼けた場所には植林され、小松原と呼ばれるようになった。私が作成し、このブログの表紙にしている地図(必ず一番前に表示されるように日付を2016年にしている)では、その場所に赤い網掛けをしている。しかし、火事はその時一度だけでなく何度もあったのかもしれない。

昔は松原内に<火の見櫓>が建っていて、常時人がいて監視していたという話を聞いたことがある。1943年というのは70歳の浅野さんが生まれる前だから、浅野さんが「焼け跡では市民が植林をしました」というのはその後の火事の時の話ではないだろうか。