社会を明るくする ― 2016年07月01日 10:46
今朝の松林 ― 2016年07月02日 09:25
軟式野球<追記> ― 2016年07月02日 16:03
<この試合についての7月3日付け「北羽新報」の記事を掲載>
今日から第61回全国高等学校軟式野球選手権大会秋田県大会
第1試合途中から観戦。試合は9時50分頃からはじまったというから、ちょうど雨雲ズームレーダーが能代市の上空に雨雲が来たことを告げた頃だった。試合は 秋田工業 対 秋田。
今日から第61回全国高等学校軟式野球選手権大会秋田県大会
第1試合途中から観戦。試合は9時50分頃からはじまったというから、ちょうど雨雲ズームレーダーが能代市の上空に雨雲が来たことを告げた頃だった。試合は 秋田工業 対 秋田。
秋田工業の応援席
試合結果は
第2試合の開始は13:00と予告されていたが、実際に始まったのは13時25分頃
グラウンド整備に時間を掛けたためか、第1試合よりもグラウンドコンディションがいい。
4回表はノーヒットながら敵失で1点をいただく
6回表に4番大塚のエンタイトル2ベースを手がかりに1点
7回表は敵失が重なり打者14人?で一挙9点
風力発電工事 ― 2016年07月03日 07:54
日曜日には風力発電工事の進捗状況を観察するようになって何週も経った。週に1本ずつ風車の支柱が立って3週目になった。
A-1、A-2では変化なし。A-3では、まだファン?は取り付けられていないが、地面に敷き詰めた鉄板の枚数が減ったという印象があった。
A-4の変化といえば
A-1、A-2では変化なし。A-3では、まだファン?は取り付けられていないが、地面に敷き詰めた鉄板の枚数が減ったという印象があった。
A-4の変化といえば
この部品が残っている。何の部品?
A-5では支柱の組立が始まっていた。
支柱を立てる時に外国人技術者が必要なのだろうか。外国語の注意板がある。
A-8まで行ったら、風景がどことなく異なる。レンズカバーが十分に開かなかっただけではない。
緑が多いということは、現場いっぱいに敷き詰めていた鉄板の枚数が減ったことだ。
帰りに注意して見たら、A-7でもA-2、A-1でも敷いている鉄板の枚数が減っていた。
私が普段作業している場所の向かい側にビニールハウスが出来たと思っていたが、行ってみるとそこに風力発電の支柱が置かれていたのだった。
支柱には入り口が付いているのか?
そこから遠くを見ると風車が2本見えた。
代表決定戦 ― 2016年07月03日 18:22
今日の代表決定戦では何故か応援団旗が一番端っこに。
今日も最初は応援団の席で準備していたのに。
こちらは昨日の三塁側の写真、昨日も応援団が応援に来ていたが、昨日は応援団旗はなかった。
昨年までの様子が写っている写真を探せばいくらでも出てくると思うが、昨年までは応援団幹部が活動していた場所の一番上に陣取っていた。こまち球場でも強い風の吹く最上段に陣取っていた。
今回は試合が始まっても一番端で応援。動画だとわかるのだが、今回はあの重い団旗を何度も振り回していたのである。持っているだけでも2時間持つのは大変なのに。
こちらは本荘高校。部員が一番マウンド近くに陣取っていた。
こちらは本荘高校。部員が一番マウンド近くに陣取っていた。
試合は本荘が先取点を挙げて始まった。
懸命の応援もあって
3回裏に、清水投手のエンタイトルツーベースを起点として逆転。
しかし7回表には先頭打者の三塁打をもとに同点とされる。
8回裏に逆転。9回表を押さえて代表権を獲得した。
非行防止は ― 2016年07月04日 16:43
渟城西小へ ― 2016年07月07日 13:42
オレンジのバス ― 2016年07月09日 07:11
日時計歌碑_渟西小 ― 2016年07月10日 11:47
今日は渟城西小を経由して風の松原へ
ここは参院選の投票所になっているはずだが、まだ五時台のため表示はどこにもない。今日の目的は7月7日に見た日時計の説明をブログに書くこと。
ここは参院選の投票所になっているはずだが、まだ五時台のため表示はどこにもない。今日の目的は7月7日に見た日時計の説明をブログに書くこと。
前庭の奥の方に日時計歌碑が建っている。そして日時計の正面は南を向いている。この写真では右端に小さく見える。
この写真右の碑が日時計を載せた歌碑だ。真ん中の黒い記念碑は昭和49年の百周年記念碑。この記念碑も上部の白鳥像が壊れていた。どうするのだろうか。(その画像は今日は掲載しない)
この場所から撮影すると日時計の様子がよくわかる。
日時計歌碑の正面はこちら。
正面の銘板を拡大。この画像をクリックすると更に拡大されて碑文を読むことができる。
碑面には
先輩 安成二郎(やすなりにろう)から後輩に贈る歌
先輩 安成二郎(やすなりにろう)から後輩に贈る歌
おいすでに われにいたりぬ しかれども またあたらしき としにまなばん 安成二郎(やすなり にろう)
明治33年(1900)渟城尋常高等小学校卒業
(上の短歌の意味) 私はすでに老人だが それでも 新しい年に新しい気持ちになって また 学んでいこう
昭和44年(1969)に、安成仁郎が歌集「夜知麻多(やちまた)」からこの歌を選び、揮毫(きごう)しました。
台座には落成記念の歌の楽譜もあった
ここに2011年7月22日付け北羽新報の切り抜きがある。この日時計歌碑の除幕式の記事です。
ようやく古い写真を探しだしたが、これは東日本大震災後の2011年4月26日に撮影した写真。右手に百周年記念碑が見える。
これは昭和60年8月に能代北高の文芸部の顧問をしていた時に、北高祭で「能代山本地方の文学碑」を発表したときに展示写真として撮影したものです。この歌碑の後ろに、百周年記念碑の白鳥が少しだけ見えます。
これは広報のしろの昭和62年3月10日号に掲載された日時計歌碑の紹介です。
渟城西小学校の日時計歌碑 再建修復完成のご案内
参考資料1
参考資料2
参考資料3
除幕式次第
日時計落成記念の歌
安成先生と平凡百科同窓会 小原銀之助
除幕式のパンフレット(表)
パンフレット(中面)
パンフレット(ウラ面)
パンフレット中面の拡大1
パンフレット中面の拡大2
パンフレット中面の拡大3
(まだ針金でグルグルに巻かれた写真と、インターネットの「能代山本地方の文学碑」が発見出来ていませんが、発見次第ここに掲載しておきます)
道の風景が変化? ― 2016年07月11日 06:49
「日時計歌碑_渟西小」に時間を費やしたので、今日のブログ「道の風景が変化?」の取り掛かったのは夜9時半過ぎ。
今日は渟城西小から能代公園に向かった。公園では階段を上るのが中学校で通学路としていた当時からの習慣だが、今日は安岡さん脇の車道を上った。売店前の道路は同じ。
今日は渟城西小から能代公園に向かった。公園では階段を上るのが中学校で通学路としていた当時からの習慣だが、今日は安岡さん脇の車道を上った。売店前の道路は同じ。
先に進むと、なんだかいつもと風景が異なる。テニスコートの緑の網が見えるのだ。
野球場に曲がる角までくると、桜並木の脇に松の木が5本。
ここは木の塀に囲まれていて、中は見えなかったはずだ。
ここには家が建っているものとばかり思っていた。
ここは木の塀に囲まれていて、中は見えなかったはずだ。
ここには家が建っているものとばかり思っていた。
家などは昔からなかったように、ロケットセンターに向かう途中の林床改良地と同様に砂地が広がっていた。
先週も公園にきたのだが、階段を上って景林神社脇を歩いたので、下の道がこのように変わっていることには気付かなかった。
緑の網フェンス脇にテニスコートの整備用具を入れていると思われる小さな小屋だけが残っていた。
緑の網フェンス脇にテニスコートの整備用具を入れていると思われる小さな小屋だけが残っていた。
小屋のすぐとなりは越後屋太郎右衛門の松だ。
木の塀の陰から出現した5本のクロマツは、この越後屋のクロマツと同時代のもののように思われた。
陸上競技場のいつもの風景が今日の終着点、写真データを見ると撮影時刻は7:05分。
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