HP「風の松原案内」 ― 2015年02月28日 18:52
今日は「風の松原案内」の内容を点検した。先日、2月24日のブログ「日本海中部地震の遺物」の最後にこのように書いた。
「大開浜砂防林については鈴木重孝氏の「津波から落合地区を救う」という文章が、地震のあと昭和58年7月13日と15日の2回「北羽新報」紙に掲載されている。ブログでは紹介が難しいので、後から別のホームページ等で紹介したい」と書いた。
その内容はこのホームページにあった。
アドレスは
「風の松原案内」の<松原の随筆・評論・意見>ページに掲載されていた。
ヤフー等で検索する場合は「風の松原案内」と入力すれば出てくる。
「大開浜砂防林については鈴木重孝氏の「津波から落合地区を救う」という文章が、地震のあと昭和58年7月13日と15日の2回「北羽新報」紙に掲載されている。ブログでは紹介が難しいので、後から別のホームページ等で紹介したい」と書いた。
その内容はこのホームページにあった。
アドレスは
「風の松原案内」の<松原の随筆・評論・意見>ページに掲載されていた。
ヤフー等で検索する場合は「風の松原案内」と入力すれば出てくる。
このホームページを掲載している「白神ねっと」は白神ネットとして平成8年に発足。設立総会は平成8年9月4日にキャッスルホテル平安閣で行われた。私はそれまで秋田大学に置かれていたインターネット研究会に所属し、ダイアルアップでつながるインターネットを行っていたが、我々が使える回線は5回線くらい。1人一日20分位に制限してくださいと言われていた。そこで白神ネット発会と同時に入会した。
その白神ネットがNPO法人白神ねっとに発展。白神ネット時代から通算で10周年を迎えた2006年にこのページを100MBで作ることが認められた。
その白神ネットがNPO法人白神ねっとに発展。白神ネット時代から通算で10周年を迎えた2006年にこのページを100MBで作ることが認められた。
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