松枯れ枝の処理は? ― 2006年06月03日 13:48

以前、松枯れ枝の処理について地元新聞に投書したことがあった。先日、ある会合の懇親会で私の投書を読んだ人から「先日の松枯れ枝はその後どうなりました?」と聞かれたので、「そのまま残っていますよ。森林管理署も市役所でもどうにもできないんじゃないですか。あのボランティア大会の日もA氏が市役所のトラック1台をようやく防火線まで連れて行ったのですが、その時に運んだだけです。」と話したらびっくりしたような顔をしていました。
私に話しかけた人は、あの日の主催団体である「風の松原ボランティア協議会」の役員だったようです。5月14日の投書があったから森林管理署か市役所で処理を終えたものと思っていたようです。
この写真は今日のジョギングコース25番地点付近の写真です。このように道路に運び出したものは見えますが、林内におかれたものは、雑草が生い茂ってきたので隠れて見えなくなっています。枯れ枝の処理は3月から遅くともゴールデンウイーク明けまでには終える必要があるのですね。
私に話しかけた人は、あの日の主催団体である「風の松原ボランティア協議会」の役員だったようです。5月14日の投書があったから森林管理署か市役所で処理を終えたものと思っていたようです。
この写真は今日のジョギングコース25番地点付近の写真です。このように道路に運び出したものは見えますが、林内におかれたものは、雑草が生い茂ってきたので隠れて見えなくなっています。枯れ枝の処理は3月から遅くともゴールデンウイーク明けまでには終える必要があるのですね。
ジョギング45番地点 ― 2006年05月27日 21:44

ここが45番地点。左側に見える松枯れ枝は作業用道路から引き出してきたもの。ここから西側に50m程入った場所に豪雪の影響か何かで除伐した形跡が見られ、その時の松枯れ枝がそのまま残されたのではないだろうか。たくさん散乱した中から数本だけ運び出したもの。運び出したのは5月7日のボランティア大会が終わってまもなくだったが、まだそのままの状態である。
その後、コシャクやアマドコロを始めとして、様々な草花が咲き始めたので、草花の写真を撮ることに夢中になり、松枯れ枝の処理はお留守になっている。
港湾道路入口側にも松枯れ枝 ― 2006年05月18日 17:50

港湾道路側入口から入ると松枯れ枝の山がいくつか見える。近づいてみると林内にはほかにも赤茶けた枯れ枝や折れた枝がまだ木にぶら下がっているものも見える。
集められた枯れ枝の中には切り口がナタかノコギリで切ったものも多く、豪雪で折れたクロマツを除伐処理した時の枝が残ったと思われるものもあった。
松枯れ対策は? ― 2006年05月18日 10:07
今朝、いつものように松原を散策していたら、ある人から声を掛けられた。先日私が地元新聞「読者のひろば」欄に投稿したのを読んでくれていた。
「あなたの投稿を読んだが、実際に松枯れ枝を運び出してもらうのは難しい」とのお話し。私が「6月の薬剤散布の時にはトラックが何台も入るから、その時に松枯れ枝を運び出してくれるでしょう」というと、「そういう仕事は業者への発注になるから、受注した仕事以外のことをやるのは難しいのじゃないか」という。
その人は昨年、森林管理署か市役所に松枯れ枝の多い場所を地図に示して除去を依頼したが、薬剤散布が終了した7月になっても結局そのままだったという。
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私が書いた「読者のひろば」への投稿を次に引用します。(自分が書いたものでも著作権が新聞社になるのかどうかは不明)
松枯れ枝集めの継続を(新聞では「松原の枯れ枝集め継続願う」として5月14日の北羽新報に掲載:新聞では語句を直してくれていると思うが、以下は私の元原稿)
5月7日の「風の松原を守る市民ボランティア大会」でトリムランニングコース周辺の松枯れ枝が一掃され、毎朝気持ちよく散策出来るようになりました。
その様子は翌日の本紙でも大きく報道されました。見出しには<「風の松原」を守り、未来へ>、<枯れ枝を集め、一掃>とありました。また県知事や市長さんからは「風の松原は最後の砦」「風の松原を起点に緑の前線を南下させていきたい」「過去からの贈り物であり未来からの預かりもの」とあいさつがあったことを伝えています。
当日は私も松枯れ枝運びに参加しました。気温はそれほど高くなかったはずなのにけっこう汗をかきました。高校生パワーには感心しました。
ところが翌8日朝、強風のためかトリムランニングコース周辺にまた松枯れ枝が落ちていました。ジョギングコース内や更に西側の若いクロマツ林には数多くの松枯れ枝が残されたままです。
散策者の多いジョギングコースや新しく出来た健康づくりのみち周辺には松枯れ枝の小山が何カ所か出来ています。これは松林内を散策している人たちが、トラックの入れる道路まで松枯れ枝を運び出してくれたものと思います。
そこで米代西部森林管理署や能代市役所など松原を管理する方々にお願いがあります。マツノマダラカミキリが産卵するのは6月に入ってからだと言われています。「最後の砦」「未来からの預かりもの」を守るのもこれからが肝心です。
早朝、松原内を散策している人たちは今後も松枯れ枝をジョギングコースやトリムランニングコースのトラックが通れる道路まで運び出してくれると思いますので、それらをバイオマス発電所へ運搬してくださるようお願いします。
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5月19日朝、散歩に出掛けるときになって、昨日「病院から戻ってから続きを書きます」と結んでいたことに気付いた。その病院の後ろを通ったからだ。この病院にかかるようになってから14年目。毎月一度薬をもらいに通っている。病院の先生も朝や昼休みなどに風の松原を散策しているのをよく見かける。今朝は私が通ったときに散策の服装で病院から出てくるところだった。
「あなたの投稿を読んだが、実際に松枯れ枝を運び出してもらうのは難しい」とのお話し。私が「6月の薬剤散布の時にはトラックが何台も入るから、その時に松枯れ枝を運び出してくれるでしょう」というと、「そういう仕事は業者への発注になるから、受注した仕事以外のことをやるのは難しいのじゃないか」という。
その人は昨年、森林管理署か市役所に松枯れ枝の多い場所を地図に示して除去を依頼したが、薬剤散布が終了した7月になっても結局そのままだったという。
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私が書いた「読者のひろば」への投稿を次に引用します。(自分が書いたものでも著作権が新聞社になるのかどうかは不明)
松枯れ枝集めの継続を(新聞では「松原の枯れ枝集め継続願う」として5月14日の北羽新報に掲載:新聞では語句を直してくれていると思うが、以下は私の元原稿)
5月7日の「風の松原を守る市民ボランティア大会」でトリムランニングコース周辺の松枯れ枝が一掃され、毎朝気持ちよく散策出来るようになりました。
その様子は翌日の本紙でも大きく報道されました。見出しには<「風の松原」を守り、未来へ>、<枯れ枝を集め、一掃>とありました。また県知事や市長さんからは「風の松原は最後の砦」「風の松原を起点に緑の前線を南下させていきたい」「過去からの贈り物であり未来からの預かりもの」とあいさつがあったことを伝えています。
当日は私も松枯れ枝運びに参加しました。気温はそれほど高くなかったはずなのにけっこう汗をかきました。高校生パワーには感心しました。
ところが翌8日朝、強風のためかトリムランニングコース周辺にまた松枯れ枝が落ちていました。ジョギングコース内や更に西側の若いクロマツ林には数多くの松枯れ枝が残されたままです。
散策者の多いジョギングコースや新しく出来た健康づくりのみち周辺には松枯れ枝の小山が何カ所か出来ています。これは松林内を散策している人たちが、トラックの入れる道路まで松枯れ枝を運び出してくれたものと思います。
そこで米代西部森林管理署や能代市役所など松原を管理する方々にお願いがあります。マツノマダラカミキリが産卵するのは6月に入ってからだと言われています。「最後の砦」「未来からの預かりもの」を守るのもこれからが肝心です。
早朝、松原内を散策している人たちは今後も松枯れ枝をジョギングコースやトリムランニングコースのトラックが通れる道路まで運び出してくれると思いますので、それらをバイオマス発電所へ運搬してくださるようお願いします。
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5月19日朝、散歩に出掛けるときになって、昨日「病院から戻ってから続きを書きます」と結んでいたことに気付いた。その病院の後ろを通ったからだ。この病院にかかるようになってから14年目。毎月一度薬をもらいに通っている。病院の先生も朝や昼休みなどに風の松原を散策しているのをよく見かける。今朝は私が通ったときに散策の服装で病院から出てくるところだった。
松枯れ枝が多いのは雪害の影響? ― 2006年05月16日 14:23

朝6時、風の松原に足を踏み入れてすぐに目に入ったのがこの光景。こんな大きな枯れ枝を誰がここに持ち込んだか?
後ろにフィールドアスレチックの遊具が見えるから、いこいの広場のすぐ西側、参道脇だということがわかる。
枝の根元が裂けて新しいのを見ると、きっと近くの木から昨夜か今朝落ちてきたのだろう。冬の大雪の影響で、少し強い風が吹けば枝が落ちてくるようになっているのかも知れない。
健康づくりのみちの松枯れ枝 ― 2006年05月13日 14:30

先ほど書いた「・・No.1地点(翌日)」のとおり、No.1地点からNo.2地点に向かう道端の松枯れ枝はそのままになっていた写真をここに示した。トラックが入れないウッドチップ歩道の枝を取り除くのは本当に難しい。健康づくりのみちの松枯れ枝を除くためには、7日に使用した特製担架と多くの人力がまた必要になる。
健康づくりのみちNo.1地点(翌日) ― 2006年05月13日 13:40

今朝もう一度昨日と同じ道を歩いた。そうしたら昨日の「健康づくりのみちNo.1地点」の松枯れ枝はなくなっていた。そこだけでなく、ジョギングコース37番地点や38番地点にあった松枯れ枝もなくなっていた。トラックで林内に入れる森林管理署か市役所の方が取り除いてくれたものと思う。
しかしNo.1地点からNo.2地点に向かう道端の松枯れ枝はそのままになっていた。トラックが入れないウッドチップ歩道の枝を取り除くのは難しい。
ここにも松枯れ枝 ― 2006年05月09日 17:55

今日はジョギングコース10番地点から健康づくりのみちに上った。150mほど上った場所に松枯れ枝を集めた所があった。
こういう場所は森林管理署の人たちが巡回していると思うので近々運び出してくれるだろう。
帰りにジョギングコース37番地点、38番地点を確かめたところ、そのままになっていた。6月に入れば薬剤散布などで作業車が入るだろうから、それまでに運び出してもらえばいいと思った方がいいのだろうか。
ボランティア大会の翌日 ― 2006年05月08日 09:47

風の松原ボランティア大会の翌朝。今朝6時頃は天気はよかったが、東風が強く昨日松枝を拾ったばかりの場所に枯れ枝が落ちていた。枝の折れた跡がまだ新しいので、きっと今朝の強風で落ちてきたのだろう。
健康づくりのみちNo.3からNo.4に向かう途中に2箇所、35番地点から42番地点の間に2箇所、写真のように道端に松枯れ枝を集めた場所があった。この場所は昨日のボランティア活動の区域外だが、散策している人たちが林の中から運び出してくれたのだろう。
松林から戻るころ(午前8時)には東風が一段と強くなり、昨日の大会本部があったあたりにゴミが散乱していた。自動販売機の脇に置いてあった空き缶入れなどが風に飛ばされて、中のアルミ缶などが飛んだものだった。こんなことは珍しい。
家に戻って地元新聞を見ると約900人参加、10トントラック4台分、2トントラック14台分の枝がバイオマス発電所へ搬送されたと書かれていた。
新聞記事は続けて <・・クリーンアップ担当者からは「ほとんど見当たらない。ルールを守るようになってきているのでは」「あまりにゴミがなくて、散歩しているみたいだった」との声も聞かれるほどだったが、・・・>と書いている。なぜこの記事を引用したかというと、開会式前に近くにいた人から「ゴミはたくさんありますか」と聞かれた。「今日の区域内にはほとんどありませんよ」と応えると、近くにいた人が「ゴミも松枯れ枝も多いのは今日の区域よりも西側だよ」と答えた。顔を見ると、先日「ゴミを拾いながら散策する人たち」で紹介した人だった。
「ゴミを拾いながら・・・」の人の話では、町内のゴミ回収の日に合わせて松原内のごみ拾いをしているのだという。集めたゴミは自分の名前を書いたゴミ袋に入れて町内のゴミステーションに出しているのだという。同じことをしている人が他にもいるとのお話しだった。「あなたもそうでしょう」と私に言うので、「私はゴミを写真に撮っているだけだ」と応えた。風の松原はこういう人たちに支えられているのだと実感した。同時に 「ゴミ集めのボランティアは4月(9日に実施したクリーンアップ)にもやっているから今回は松枯れ枝集めだけに限定するべきだ」 「実施区域は休養広場まで拡大するべきだ」 ということで2人の意見は一致した。
今回のような行事は、どうしても前年にならった企画になってしまう。風の松原ボランティア協議会では反省会を行うと思うが、「成功でした」と終わるのではなく、<来年はどこをどのように充実させるか> <今年不要だった点は何か> をしっかりと話し合ってほしい。
高校生も活躍-ボランティア大会 ― 2006年05月07日 21:55

今日のボランティア大会では高校生が大活躍だった。
私たち3人も40数年前の高校生、日頃健康保持のために利用している風の松原に恩返しをしようと松枯れ枝拾いに参加、3人で担架1台を借りたが、高校生の体力と真面目さにはかなわないかった。
私たちは枯れ枝があると、このまま残しておいては美観を損ねるとばかりに、松以外の枝も拾ったが、担架に積み込んで集積場所に運んでいくと、高校生の担架の中味は今冬生じたばかりの松枝ばかりだった。先日参加申込者に送付されてきた「当日の作業内容」をよく読んでいることがわかる。
私たちが集積場所とした大森稲荷神社付近には青い体操着の能代高校2年生が運び込んでいたが、閉会式会場では赤い体操着の能代北高校の集団の姿もあった。
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