日時計歌碑_渟西小2016年07月10日 11:47

今日は渟城西小を経由して風の松原へ
ここは参院選の投票所になっているはずだが、まだ五時台のため表示はどこにもない。今日の目的は7月7日に見た日時計の説明をブログに書くこと。


前庭の奥の方に日時計歌碑が建っている。そして日時計の正面は南を向いている。この写真では右端に小さく見える。

この写真右の碑が日時計を載せた歌碑だ。真ん中の黒い記念碑は昭和49年の百周年記念碑。この記念碑も上部の白鳥像が壊れていた。どうするのだろうか。(その画像は今日は掲載しない)

この場所から撮影すると日時計の様子がよくわかる。

日時計歌碑の正面はこちら。
正面の銘板を拡大。この画像をクリックすると更に拡大されて碑文を読むことができる。
碑面には
先輩 安成二郎(やすなりにろう)から後輩に贈る歌

おいすでに われにいたりぬ しかれども またあたらしき としにまなばん  安成二郎(やすなり にろう)
             明治33年(1900)渟城尋常高等小学校卒業

(上の短歌の意味) 私はすでに老人だが それでも 新しい年に新しい気持ちになって  また 学んでいこう

昭和44年(1969)に、安成仁郎が歌集「夜知麻多(やちまた)」からこの歌を選び、揮毫(きごう)しました。









台座には落成記念の歌の楽譜もあった



ここに2011年7月22日付け北羽新報の切り抜きがある。この日時計歌碑の除幕式の記事です。

ようやく古い写真を探しだしたが、これは東日本大震災後の2011年4月26日に撮影した写真。右手に百周年記念碑が見える。

これは昭和60年8月に能代北高の文芸部の顧問をしていた時に、北高祭で「能代山本地方の文学碑」を発表したときに展示写真として撮影したものです。この歌碑の後ろに、百周年記念碑の白鳥が少しだけ見えます。

これは広報のしろの昭和62年3月10日号に掲載された日時計歌碑の紹介です。

渟城西小学校の日時計歌碑 再建修復完成のご案内
参考資料1
参考資料2
参考資料3
除幕式次第
日時計落成記念の歌
安成先生と平凡百科同窓会  小原銀之助

除幕式のパンフレット(表)

パンフレット(中面)
パンフレット(ウラ面)

パンフレット中面の拡大1

パンフレット中面の拡大2

パンフレット中面の拡大3




(まだ針金でグルグルに巻かれた写真と、インターネットの「能代山本地方の文学碑」が発見出来ていませんが、発見次第ここに掲載しておきます)