花輪で朝の散策<追加・訂正>2016年10月02日 09:07

 <昔、花輪で暮らした思い出を含めて書いたが、
   新たに思い出したことや追加情報がありました>

6:30 宿舎をスタート

昨夜の二次会で行った場所はここの3階だった。
RESTAURANTくるみ 
ホテルで貰った地図を掲載する。画面をクリックすると地図が拡大されるので大きくして見ていただきたい。

街角にこんな掲示板

掲示板を拡大すると小倉百人一首の札だった。昔、花輪高校で実施した校内かるた大会のことが思い出される
100枚全部あるのだろうか? 今朝1時間歩いて2枚見つけた。

国道から山の方を見ると霧で霞んでいる。あの山は桜山だったか?
小学校のある場所だけが桜山だったのか?

街路樹のこの木は何だろうか?
 「この木はハナミズキ」という情報をいただきました。
我が家のハナミズキは桜の少し後から咲くピンクのアメリカハナミズキだが、このハナミズキはどんな色の花が咲くのだろうか?

実の様子

この木の幹はこんな様子だった

左側の家は、昔は茜染め、紫紺染め看板を掲げていた。

昔ここで実際の紫紺染めの作業を見せて貰ったことがある

この小路を抜けるとパークホテル。11年前の10月にはここで祝賀会に参加したことがある。その時は最初のあいさつがなかなか終わらず、次の会場で待機していた人たちから何度も催促の電話が来た。そこで今回は祝賀会への参加は中止。なお、今回は祝賀会そのものも大湯のホテル鹿角でおこなわれた。

アーケードのある通りだったが、右と左で柱の色が違う。
左側が「しんまち」、 
右側の赤い柱が「おおまち」


大町方向に進む。田代煎餅店だ

こんな場所もある、空き店舗活用だろうか?


中央通りから駅方面を見ても霞んで見えない
これは何の像だろう?

千歳盛は花輪の銘酒 今でも花輪につくり酒屋があるのだろうか?名前は千歳盛だが、いま造っているのは大館の北麓酒造だと聞いたことがあるが?

 クラス会に参加した人のお兄さんからの伝言で「千歳盛はちゃんとお酒を造っていますよ」とのことでした。


さすが花輪、早朝のアーケード街で、浅利純子や松宮隆行に続けとばかりトレーニングしている人がいる
街に子どもたちの像がいくつも立っている。
この付近に浅利書店とかレストランマルダイがあったはずだが。
今はどうなっているのだろうか。

昔のままの家が残っている。これも酒屋さん?
たしか、この酒屋さんで、「松崎先生の結婚を祝う会」に参加したことがある。ここでは「松風」という銘柄のお酒を出していたと情報をいただいた。

これが造り酒屋だった関善酒店 銘酒「花正宗」「鹿角」などを造っていたという。

ここは現在は関善賑わい屋敷とかにぎわい館とかいわれていて内部を見学できるはず

「関善にぎわい屋敷」の画像をいただいた。



この障子は、瞬間的に変えられるという


これは客間?

この部屋には上部に大きな窓

上の部屋を2階から見下ろすとこのように見える。明かり取り入れの工夫だろうか?

屋根裏には天体観測の部屋


ここから朝の散歩の続き

ここは現在の住まいか
「酒粕あります」の表示があった

細谷肉店さん

ここには有名な水がある。「御伊勢堂」
今朝も軽トラにペットボトルを沢山積んで水汲みに来ていた人がいた

向かい側に「腕白ハウスという建物があった。敷地が広くないので「小児科医院」かと思ったが、ちょうど家の前を掃いていたおばさんに聞くと「保育園です」

根本呉服店
舟場三区の下宿の近くに同じ名前の店があった。あそこが引っ越してきたのだろうか?

関安さん 建築に工夫を凝らした目立つ建物が多い

ようやく新田町の井戸までやって来た
中に何かをおいてあった。よく見ると「あけび」水に晒しておくと食べやすくなるのだろうか?

この井戸のとなりが花輪高校の通学路



この急な坂道を上って学校まで行こうとしたが、細谷肉店さんのところで7時のサイレンが鳴っていたから、途中で諦めて帰途についた。
帰ろうと振り返ると急坂であることがよく分かる。
当時は車で通う先生は、ベレットの柴田正昭先生(英語)、国語の佐藤基先生。美術の小田原先生と数える程しかいなかったが、今もこの急坂を登っているのだろうか

坂を下りおりると向かいの家にこのポスター。花輪ばやしの屋台は舟場元町のものだった。私が下宿当時に引っ張った舟場三区が今は舟場元町というのだそうだ。そこで舟場三区までいってみることにした。

途中、この場所のあたりに山本君の下宿があったはずだ。

向かいには、私が花輪に下宿してすぐに石油ストーブを買った菅原電気店があった。

国道の交差点。当時は高井田線と呼んでいた。左に曲がれば道の駅に向かう。真っ直ぐ進めば尾去沢。右角の建物には昔は「田村呉服」と看板が掛かっていたはず。

観光タクシーが見えてきた。左に曲がれば旧花輪高校の校門と枝垂れ桂の大木が見えるはずだったが、散歩している時はすっかり忘れていた。

昔の家がそのまま残っていた。これは他のクラスの生徒の家?

その隣には「おだぎり呉服店」があった。私のクラスの生徒の家だったのでよく覚えている。看板がひらがなで書かれていて「た」が「に」のように見え、「おにぎり呉服店」と読み違えたことがあった。おだぎり呉服店はなかった。
代わりに大きな構えの勝田呉服店があった。
私が下宿していた当時この通りに呉服屋さんが3軒もあったのだ。
3月末に花輪高校に赴任が決まるとすぐに学校にあいさつに来た。下宿を探して貰うためだ。
相手してくれた事務官から「場所は花輪がいいですか、それとも尾去沢」と言われ、「花輪でも遠いのに更に遠い隣町まで行くのは嫌だ」と思い「何とか花輪で探してください」とお願いした。どこかに電話していたようだったが、「それでは見に行きましょう」と言われて、勝田呉服店の脇を右に曲がって入っていった。

道路右手に堰があり、左手には大きな家具屋さんがあった。その先を左に曲がった先に案内された下宿屋さんがあった。
行ってみるとその下宿屋の建物はまだあった。
この建物の3階の西に面した部屋が私の6畳くらいの部屋だった。
この部屋には昭和45年の夏まで住んで、下宿ごと新しい家に引っ越したので、この家がまだ残っているとは知らなかった。手前の空き地になっているところはクラス会に出席した茂雄君の家だった。

菅原商店 地元の人は「もちや」と呼んでいたが、酒屋さんでもあった。下宿のおばさんの実家。ブラックニッカもここで購入。現在は奥さんが「かづの裂くき織り」をやっているそうだ。

この一番奥に私の下宿があった。
下宿のおばさんには10月1日花輪に来て最初に会いに行った。
まもなく88歳になるそうだが昔と全く変わらずお元気だった。

下宿への道路の入口からは大きな橋が見える。これが稲村橋。この橋を渡ると尾去沢。この橋に花輪ばやしの屋台が集合することでも有名

稲村橋の由来

欄干の端にも花輪ばやしの写真

ここから引き返してホテルに向かう。すぐ近く秋北バスのターミナル

ここで2本目の小倉百人一首案内板発見

駅舎のとなりに農協会館。ここにはお葬式で何度か来たことがある

向かいは丸佐運送の事務所 昔のままだ

花輪駅 昔は「陸中花輪駅」だったが、今は「鹿角花輪駅」と名前は変わった。建物は昔のまま

花輪ばやしで屋台が10台並ぶ駅前ロータリー中央には汽車の動輪と声良鳥がいた

ようやくホテルに到着(この写真撮影時刻7:34)
といっても千歳旅館の陰になって茅茹荘の看板しか見えないが。

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