カシワ ― 2006年05月14日 13:38

先日『マツが枯れる』という本の紹介をした。その時「不思議なことにこの本の表紙は著者本人の筆になるカシワの絵です。マツが問題なのにカシワの絵とは?」と書いたが、本を読み進むとその理由がわかってきた。
著者は、マツによる防風機能をカシワが代替できると主張しているのだ。
風の松原でもようやくカシワの新芽が芽吹いてきた。昨年5月9日に植物名を教えてもらった時の写真が出てきたので比べてみた。
昨年三号線で見たカシワの写真には茶色の葉は残っていない。一斉に新芽を出した写真が載っている。そして「根元付近に注目。日光や落葉の影響で草の生えていない部分が円形になっている。しかも、カシワの木は円の中心から東にずれている。太陽の傾きの影響か」と書かれていた。
センダイハギ ― 2006年05月14日 15:57

昨年、風の松原を散策していた時にここがセンダイハギの群生地だと教えられました。夏に近づくと、いかにもマメ科の植物だとわかる黄色い花が咲きます。
センダイハギの根には根瘤菌が共生し、窒素を固定する働きがあるのでクロマツの肥培のために植栽したのだということを『能代市史 特別編 自然』194ページに書いてありました。
アカネ ― 2006年05月14日 16:24

かつて鹿角市に暮らしていた時、紫紺染・茜染のお店があった。紫紺染や茜染は南部藩の特産品だったという。昭和39年に秋田国体があった年には、天皇陛下が使用するため紫紺染めの布団が用意されたとも聞いている。それを作った店はもうないし、布団を納入したという秋田市中小路にあった栗山布団店も今はない。
アカネ・ムラサキとも根を染料として用いるので、花や実を用いるものと違って寿命が短い。今、盛岡市に紫紺染・茜染を製造販売する店があるが、どうやって作っているのだろう。
アカネと聞けばすぐにそのことを思い浮かべる。そういう由緒あるアカネがどうして風の松原にあるのか不明だが、特徴のある茎や葉の形からすればアカネだろうと思う。
新緑の健康づくりのみち ― 2006年05月14日 16:50

今朝は雨の予報だったが、午前6時には傘なしで松原内を散策することができた。カメラの電池が切れてしまったので、いつもよりも早く7時45分頃には帰宅したが、雨上がりで松原内の新緑がハッキリと映り、気持ちよく散策できた朝だった。(蛇足だが、散歩が終わってからスカルパ球場に高校野球の応援に出掛けたら雨後でグラウンドコンディション不良のため?中止だった)
写真の場所は健康づくりのみちNo.11地点からNo.3地点に向かう坂道。
(地図はこのブログには掲載できないので、地図を必要とする人は『風の松原案内』というホームページを検索し、その中に含まれている数種の地図の中から必要なものを印刷していただきたい)
この場所のクロマツ植林年度は昭和9年(1934)頃だからまだ70年くらいの林。新芽はほとんどがサクラなどの広葉樹の類だ。
昨朝のことだが、一眼レフを持って歩いていたら、この道で60代と思われるご夫婦に「サクラのきれいな場所はどこですか」と声を掛けられた。聞くと40年ぶりに能代に来て、新聞に「風の松原のカスミザクラがきれいだ」という記事が出ていたので来てみたのだという。「カメラを持っているから、きれいなサクラの場所がわかると思って私に声を掛けたのだ」という。地元新聞に「カスミザクラ見ごろ」の記事が掲載されたのが11日。風の松原手前にある長慶寺から見える桜が満開だったのは10日まで。新聞に写真が載るのが最盛期だから、もう散り始めていた。
ご主人が昔、松原を歩いた時は松原内に松以外の雑木はほとんど見られなかったという。「退職なさったんですか」と聞くとそうだという。私と同年代だ。昭和30年代まではクロマツ林の下草刈りが行われていたので、松林内に雑木はほとんど見られなかったし、松原内で桜がきれいだということもなかった。下草刈りが行われなくなってから雑木が多くなり、街に近い東側では藪状態の場所も多い。
写真の場所も、今はクロマツが桜などの木々よりも高さを保っているが、広葉樹の方が成長が早いので、もう十年もすれば高さが同等になってしまうだろう。クロマツをよく見ると、太陽光を受けているところだけに枝があり、太陽光があたらない下の方の枝はなくなっている。もしもカスミザクラなどの高さがクロマツの高さを追い越す時になれば、クロマツは枯れてしまう運命にある。
今、私たちは松くい虫被害防止のために枯れ枝集めなどをしているが、20年後には桜などの広葉樹に敗れてクロマツはこの場所から無くなってしまうのだろうか。冷徹な学者は「それが自然の摂理です」というかも知れないが、ここで暮らしている私たちは黙って見過ごすことができない。
写真の場所は健康づくりのみちNo.11地点からNo.3地点に向かう坂道。
(地図はこのブログには掲載できないので、地図を必要とする人は『風の松原案内』というホームページを検索し、その中に含まれている数種の地図の中から必要なものを印刷していただきたい)
この場所のクロマツ植林年度は昭和9年(1934)頃だからまだ70年くらいの林。新芽はほとんどがサクラなどの広葉樹の類だ。
昨朝のことだが、一眼レフを持って歩いていたら、この道で60代と思われるご夫婦に「サクラのきれいな場所はどこですか」と声を掛けられた。聞くと40年ぶりに能代に来て、新聞に「風の松原のカスミザクラがきれいだ」という記事が出ていたので来てみたのだという。「カメラを持っているから、きれいなサクラの場所がわかると思って私に声を掛けたのだ」という。地元新聞に「カスミザクラ見ごろ」の記事が掲載されたのが11日。風の松原手前にある長慶寺から見える桜が満開だったのは10日まで。新聞に写真が載るのが最盛期だから、もう散り始めていた。
ご主人が昔、松原を歩いた時は松原内に松以外の雑木はほとんど見られなかったという。「退職なさったんですか」と聞くとそうだという。私と同年代だ。昭和30年代まではクロマツ林の下草刈りが行われていたので、松林内に雑木はほとんど見られなかったし、松原内で桜がきれいだということもなかった。下草刈りが行われなくなってから雑木が多くなり、街に近い東側では藪状態の場所も多い。
写真の場所も、今はクロマツが桜などの木々よりも高さを保っているが、広葉樹の方が成長が早いので、もう十年もすれば高さが同等になってしまうだろう。クロマツをよく見ると、太陽光を受けているところだけに枝があり、太陽光があたらない下の方の枝はなくなっている。もしもカスミザクラなどの高さがクロマツの高さを追い越す時になれば、クロマツは枯れてしまう運命にある。
今、私たちは松くい虫被害防止のために枯れ枝集めなどをしているが、20年後には桜などの広葉樹に敗れてクロマツはこの場所から無くなってしまうのだろうか。冷徹な学者は「それが自然の摂理です」というかも知れないが、ここで暮らしている私たちは黙って見過ごすことができない。
三号線(その1) ― 2006年05月14日 18:35

ここはジョギングコース13番地点のカーブミラーのある三叉路です。ここから三号線がスタートします。「三号線」というのは旧営林署時代の作業道路の呼び名でしょう。「一号線」は陸上競技場本部脇から西側にまっすぐ進む道(約1キロメートル)、「二号線」はジョギングコース10番地点(健康づくりのみちNo.12地点)からNo.11地点~No.4地点~No.5地点を通り、西へ向かい大森橋付近まで進む道、「四号線」とはジョギングコース22番地点から23番地点を通り、西に向かって港湾道路に達する道です。
このほかに「防火線1号」から「防火線5号」まで南北に走る道があります。わかりやすいのがジョギングコース23番地点から48番地点まで続く広い道路です。ここは米代西部森林管理署の作業車も通る広い道です。この道は後から「防火線2号」として紹介します。
防火線2号 ― 2006年05月14日 18:56

ここが「防火線2号」の南端(ジョギングコース23番地点)です。ほとんど真北に向かって進みます。写真の一番高く見える場所は26番地点です。
途中4箇所に松枯れ枝を集めた場所が見えます。これはトリムランニングコース周辺で松くい虫退治のために「風の松原を守る市民ボランティア大会」が行われた頃から集められた松枯れ枝です。集めたのはここを毎日の散策の場所としている人たちです。
風の松原を松くい虫から守るためには、150年クラスのクロマツが残るトリムランニングコース周辺を守るのはもちろんですが、50~70年生のクロマツが大部分を占めている若齢林(より海に近い部分です)を守るのが大事です。若齢林は防火線2号の西側が大部分を占めています。もしも風の松原全体に力を注ぐだけの人々の力がないとすれば、力を集中しなければならないのはトリムランニング周辺よりも防火線以西だと思います。
「風の松原を守る市民ボランティア大会」がトリムランニング中心で行われる意義は、市街部に近く参加しやすいため、デモンストレーションとしての価値があるからです。
私は今日の地元新聞投書欄に「松原の枯れ枝集め継続願う」という意見を掲載していただきました。「風の松原は最後のとりで」と述べられた県知事さんのあいさつや、「過去からの贈り物であり未来からの預かりもの」と考えている市長さんのあいさつを生かすためには、トリムランニングコース周辺だけでなく、若齢林を守ることが是非とも必要です。
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