能代駅からの道順(8)2006年06月30日 06:59

西通町交番前
 
 ここは西通町交番前。ここの交番は昨年秋に移転建て直しされ、昔タクシー会社があった場所に引っ越してきた。

 私の前を歩いている人がいるが、この人も風の松原方面に向かっていた。但し私があちこちでシャッターを切っている間にずーっと行ってしまった。

能代駅からの道順(7-2)2006年06月30日 06:58

国道101号線から見る白神山地
  
 写真が小さすぎたが、真ん中奥に青い線が見えるハズ。やはりここはズームで拡大しなければならなかったか。その街並みのすぐ上に青く見える線が白神山地なのだが。ここをよく見ると、右側真ん中付近にある道路標識の看板の左側下に三角形にとがった部分が見えるハズ。その三角のとがった部分が真瀬岳なのだ。

 あとで撮影し直ししよう。天気予報では明日は雨のようだから、今日のうちに撮影しておこう。
<am11:30追記>
 ジャスコに行くついでに写真撮影。更新。こんどはどうかな。看板らしいのが道路標識の裏側。能代病院のすぐ左側の三角が真瀬岳。

能代駅からの道順(7)2006年06月30日 06:57

国道101線との交差点
 
 道順(6)から200m程の地点か? 国道101号線との交差点である。道路標識にも「風の松原は直進せよ」と表示されている。

 昨日、今日と風の松原に入れない日なのに天候は極めて良い。この交差点から北側を見ると白神山地の眺望がよい。昨日の朝は遠くの山に雲がかかっていたが、今日は雲一つなく山の姿がハッキリと出ていた。

 その写真を次に紹介しよう。

能代駅からの道順(6)2006年06月30日 06:55

能代市住吉町
 
 昨日の続きを作ろうと昨日の能代駅からの道順(5)の場所に着いたのが6時53分。写真の場所までは150m程の距離。この交差点は昔、我が家があった場所。

 昨日も書いた昭和31年3月20日の大火のあとの区画整理で、我が家のバラックが建っていた場所がちょうど道路の中心になってしまった。交差点南側に八百屋さんがあるが、そのH商店から西へ向かう一区画(H商店、水○さん、塚○さん、三○さん、保○さん、平○床屋さん)は焼け残ったのだが、区画整理で家を前に引っ張ることになった。

 この場所付近は木材などを積んでおく土場が多く、そういう場所がお祭りの時期などになると整地されてテントが立ち、ちゃーららら、らーらら・・・と音楽が流れる、音楽はもちろん<美しき天然>サーカスのテーマソングだ。そういう場所だったということは六十代以上の人は知っているだろう。もしかしたら地元新聞にも毎月執筆している人(「雪に願うこと」の脚本を書いた人)も知っているかも知れない。すぐ近くに住んでいたから。

能代駅からの道順(5)2006年06月29日 07:07

旧消防署前から松原を望む
 
 先ほどのクロマツの街路樹から100mほど進むと少し右に曲がり写真の場所になります。ここからは遠くに風の松原の松並木が見えます。

 手元に見える赤い花は、クロマツの根元に植栽したバラです。バラの木のすぐ左側に昔、消防署がありました。消防署には高さ30mの「火の見やぐら」と呼んだ望楼がありました。昔は毎日のように消防車の出動がありました。当時我が家はこの写真の200m程西側にありましたので、エンジンの掛かり方やサイレンの音の微妙な鳴り出しで火事かどうかすぐにわかりました。

 昭和31年の大火で、この道路右側はENEOSの看板の場所から西側が焼失しました。道路左側は非焼失区域です。後の区画整理で、疎開道路と呼ばれていたこの道の角度が少し右に偏りました。そのため左側の人家は多少前に出ました。

能代駅からの道順(4)2006年06月29日 07:05

風の松原通り
  
 この写真は駅前から真っ直ぐ正面の道路を進んだ場所です。街路樹はクロマツ。ここから風の松原まで西進する道を「松原通り」と呼んでいます。朝7時頃はほとんどクルマの通りもありませんでした。

能代駅からの道順(3)2006年06月29日 06:58

能代駅前のモニュメント
 
 能代駅前にはこのようなモニュメントが立っています。木材、七夕、バスケット、クロマツの4つが現在の能代市を紹介するためのキーワードです。

 木材は昔は製材業が盛んでしたが、現在は昔からの銘木や張りマサ天井板などは縮小し、写真に出ているのは木材高度技術研究所で開発した集成材だろうと思います。

 七夕は子どもの頃は単にタナバタと呼んでいましたが「ねぶながし」なのだそうです。

 スポーツもまた子どもの頃は「体操競技」でした。小野喬・鍋谷鉄巳がオリンピックに出場し、能代高校体操部がインターハイで7連覇したこともあります。私が中学生の頃に能代工業バスケットボール部に猛烈な監督が就任し、能代一中のグラウンド隅に1面あったバスケットボール屋外コートで激しい練習を繰り返していたのを見たことがあります。その監督が全国制覇を成し遂げ、能代といえばバスケットと言われるようになりました。その監督加藤廣志氏は毎朝風の松原を歩いております。

 そして4つ目がクロマツです。昔は単に「防風林」と言っており、全国的に最大規模のクロマツ純林だと知ったのは最近のことです。

能代駅からの道順(2)2006年06月29日 06:55

駅からマップ
 
 能代駅の改札口脇に写真の「駅からマップ」が掛かっている。能代駅から風の松原を通り、ハマナス画廊やはまなす展望台に行って駅まで戻る道順と所要時間を明示している案内図だが、市民には知られていない。JRを利用する人が少ないから仕方がないのかも知れない。

 私は昨年だったか、この所要時間でいいのかどうか、実際に歩いてみたことがあるが、健康づくりのみちができた今、もう一度確かめてみる価値がある。ただし、この地図が掛けられている場所は、改札口を出てきた人の目にはなかなか入らない。駅の出口正面にもう一枚能代市の案内図があるのだが、こちらは都市型の案内板で、観光地重視には出来ていない。

 旅行上手になるためには改札口を出たら、駅員に道順等を確かめた方がよい。駅を出てすぐ左手の交番となりに能代商工会館があるのだが、その中に観光案内所があることも知られていない。今朝はそれを案内する標識も目にしなかった。

能代駅から風の松原へ(1)2006年06月29日 06:51

能代駅
  
 天気がいいのに薬剤散布のため松原を歩けないとすれば・・・と布団の中で考えていたが、今日は能代駅から風の松原までの案内をしようと能代駅へ。

 能代駅についてまもなく通学列車が到着。女子高生たちが下りてきたが、生徒たちの姿が写らないように心掛けて写真撮影開始。風の松原に到着したときにはとても一日分(5枚)では紹介しきれない枚数になったので、これも何日かに分けて紹介しよう。

 最初の写真は能代駅。ここは昔からそんなに変化してはいない。それは、駅前に勝長旅館だとかがあった大昔のことは余り覚えていない。昭和31年の大火の後、駅前が整備されてロータリーが出来てから以降は覚えている。今でも駅の右手に花壇があるが、あの花壇が最初に出来たのは私が小学5年生のとき。

 駅員さんが古い枕木を利用して花壇の枠を作り、近くにあった荷馬車組合(?)から馬糞をもらってきて埋めてくれた場所に、能代図書館児童室を利用していた人たちで作った<蟻の子クラブ>の面々が毎日水やりに通った。