大森橋工事の現況(1)2006年06月27日 07:21

大森橋工事の現況
 
 今朝は雨、昨夜遅くから降り始めたらしい。現在は梅雨らしく道路が濡れているだけに見える。散歩できない雨ではないが、秋田に出掛ける用事があるので、昨日撮影した写真から大森橋工事の現況を2枚紹介する。

 1枚目は東側から歩道を上ってすぐ、橋の名前が写るようにした。橋桁を作る工事だけなのだが、説明なしに写真を見るとビルディングを建てているように見える。

北欧の杜散策(2)2006年06月25日 11:21

森吉山
 
 先ほどの「北欧の杜散策(1)」に続いて散策記録を書く。
 写真は<はらっぱのコース>をほぼ一周し、広い駐車場のすぐ近くまで来た地点。森吉山の眺めが素晴らしい場所だ。今朝、開会式が始まる前に撮影した時は山頂に雲がかかっていて紹介できるような写真ではなかったが、午前11時21分(カメラに記録された時刻)にはこんな雲一つない素晴らしい眺めになっていた。

 この時はまだ男子選手の先頭にも追いつかれてはいない。男子の先頭(鷹巣高校の選手)に追い抜かれるのはこのあと1分程してからだ。

北欧の杜散策(1)2006年06月25日 10:55

北欧の杜(1)
 
 今日は旧合川町にある北欧の杜公園散策。
 実は今日は県北高校駅伝競走大会が北欧の杜公園で行われるので、以前勤務した高校の応援に来たのだ。このコースで実施されるのは今年で4回目。1回目と2回目は平日に実施されていたので1回目は出張のため応援できなかった。私が退職した年に応援に来たときにはやはり平日のため部会長さん始め主な役員の人たちがみな別な出張で秋田市に集められていて淋しい大会だった。昨年から日曜日に実施されている。

 この大会は開会行事が行われてから、レースが始まるまで1時間ほど時間がある。その時間を利用して昨年からコース散策を始めた。昨年は開会式終了後に駅伝で使用する公認5キロコースを歩き、スタート地点に戻ってきてから女子選手が到着するまで余裕があった。

 写真はスタートから4600メートル付近。5キロコースと7キロコースの分岐点。昨年はここで左折、5キロコースを歩いたので、女子選手のトップがゴールに来るまで時間的に余裕があった。そこで今年は右折、7キロコースを歩いた。結果はあと200メートル程のところで5キロコース(実際は5.1キロ)を走ってきた女子に抜かれ、1走から2走へタスキを渡す写真を撮影することができなかった。

松くい虫対策(薬剤散布)説明会2006年06月19日 18:35

松くい虫対策説明会
  
 今日午後6時半から「風の松原・松くい虫対策(薬剤散布)説明会」が中央公民館開催された。参加者は主催者側から能代西部森林管理署2名、県山本地域振興局森づくり振興課2名、能代市の担当課から受付を含めて3名の計7名、出席者は6名。

 最初にDVDビデオ『松再生プロジェクト』の中の「4 マツ材線虫の診断と防除」を見て松くい虫発生の仕組みについて復習。その後薬剤散布計画や自然環境への影響について説明。その後質疑応答があって終了した。

 この内容については明日、別のホームページ「風の松原を歩く」
http://www.ne.jp/asahi/sky/kappei/matsubara/sokuseki/aruku06/sokuseki06_06/sokuseki06_06.html
に作成しよう。

地元紙のコラム「亭城雑記」2006年05月26日 20:53

 今日はまだ4本しか書いていないので、もう一つ書けるかと思っていたが、「一日にアップロードできる画像ファイルの数は「5」です」と表示されたので、画像の不要なことを書こう。

 今日の地元紙1面コラムに「てい城雑記」がある。「てい」という文字はサンズイと亭を組み合わせた文字なのだが、この画面では表示されないのでご勘弁を。

 今日の「てい城雑記」のタイトルは<新緑の松原歩く>だ。
 (地元紙はWebページも作っているので、その中に「てい城雑記」のページがあればリンクを張りたいのだが、残念ながらその日の主要記事10編程度の要約が読める程度だ。)
 <新緑の松原歩く>から途中の3節を紹介する。

 2節目 ▼松原は四季折々でいろいろな表情を見せる。冬は白と黒のコントラストも鮮やかで、好きな風景だ。春は新緑の輝きもたくましい生命力を感じさせる。まるで緑のシャワーを浴びているようなものだ。雨上がりの瑞々しさも心にしみる。
 (評:これは素敵な文章だ。松原の印象をみごとに表現している。毎朝歩いていないとこのように表現するのは難しい。)

 4節目 ▼細かい木片を敷き詰めた木道が林内に張り巡らされた。その時の気分で散歩コースが変わる。いつも会うべき人と会う機会が減った。時間帯やコースによってすれ違いも多い。何しろ日本一の海岸砂防林。760ヘクタール、クロマツが700万本。
 (評:前半は確かにその通り。木道はこれ以上増やす必要がないと感じている人が多い。「健康づくりのみち事業」は4ヵ年計画と聞いた。残りの2年間で何をやろうとしているのか森林管理署の動きが不明。
 後半には異議あり。クロマツ700万本というのは様々な書類に出ている数字だが、760ヘクタールに700万本とは平均すれば1ヘクタールに700本ということになる。百メートル四方に700本だ。10メートル四方に70本と同じこと。浅内の風力発電所海側に行けば、若いクロマツを育てている場所がある。そこでは10メートル×5メートルの囲いに40本~50本が植えられている。10メートル四方に100本と考えてもいい。しかしこれは幹の細い3年生か5年生のクロマツのこと。幹は年々太くなっていくのだから木の間を歩く余裕もなくなってしまう。私は700万本とは植林した苗木の本数のトータルなのだろうと思っている。) 

 6節目 ▼常連組とは名前も知らぬ顔見知りがほとんど。朝のあいさつを交わす程度だが、名刺代わりに紙切れを渡した人は「雲風歩楽男(ふらお)」と名乗る。「1万歩にこだわりながらがんばらずに歩きを楽しむ者です」と。もちろんお遊びのユーモアだ。
 (評:雲風歩楽男氏には私もいろいろ教えてもらっている。コマツナギという木を教わったのも彼から。マイズルソウを教わったのも彼からだ。一昨日「ハリギリには花が咲くのですか? どんな花ですか?」と聞かれたので、昨日『日本の樹木』のコピーを持参したが会えなかった。4節目に書いてあるように歩道の本数が多くなったためだ。今朝は45番地点で渡すことができた。そのあとすぐに引き返して慰霊碑に向かった。
 雲風歩楽男氏は毎日5時から7時半頃まで歩いているという。『森の生活』を書いたH・D・ソローのことを教えていただいたのも雲風歩楽男氏から、97歳で亡くなった画家の熊谷守一さんの生き方を教えていただいたのも雲風歩楽男氏からだった。)

ここにも賀藤景林の植えた松2006年05月16日 12:04

 
 午前10時頃、所用で東町のH氏宅を訪問したあと「てい城第三小学校」東町側昇降口前を通った(ていはサンズイに亭だが表示できない)。小学校の頃は家がすぐ近くだったので、よく見かけた道だが、そこにあるクロマツの木に表札が立っていた。

  能代の古木・名木
 賀藤景林の植えた松

 胸高周囲1.8メートル、樹高15メートル、樹齢約170年。
 賀藤景林は、文政五年(1822)から天保四年(1833)までの12年間、能代に松を植えたという。
 現在残っている松はほとんどこの時代より若く、100年内外のものが多いが、この松は植林の初めの頃のものと思われる貴重な松である。
  平成十一年五月 能代市教育委員会

と書かれている。

 校舎の周りには、昔の校舎の玄関側(若松町に面している)と北高校側に松が植えられている。その中で玄関前の4本が他のクロマツの倍以上の高さで「樹高15メートル」といっても不思議ではない。しかし太さは表札が立っている松ほどではない。

能代カップ2006年05月05日 15:47

能代カップ
 
 子供の日なのに雨。能代カップ 高校選抜バスケットボール大会も今日が最終日。能代工業高校 対 桜宮高校は 95 対 71 で能代工業。残りはモントロス高校との対戦を残すだけだ。

 能代工業高校の前監督 加藤廣志ご夫妻も風の松原散策の常連だ。これまで風の松原でお会いした時間帯から推測すると、加藤氏の散策時間帯は午前6時に自宅出発、午前7時帰宅という日課だろうと思う。

 昨年の能代カップには愛知県安城学園が出場。監督は能代工業OB。その監督も試合前日、風の松原で加藤前監督に会ったと地元新聞に書いてあった。