男鹿街道2015年03月27日 06:23

今日は男鹿街道を歩く。
「男鹿街道」ってどこ? と思う人も多いと思うが、明治の文豪 幸田露伴がこの道を通ったことが記録にあり、その説明板がいこいの広場入口に設置されている。
これらは「風の松原案内」の中の「文学に表現された風の松原」を見てほしい。
その看板の裏側にあるフィールドアスレチックを通った時に、ラジオ体操の準備をしている人たちがいた。


風の松原中心部で、アスファルト道路が1本だけある。その道路が男鹿街道の一部であり、ジョギングコースの6番地点から22番地点までが男鹿街道に含まれている。

この道路は、港湾道路が出来るまではロケットセンター方面へ向かう車道だったので、途中13番地点にはカーブミラーがあったり、交通事故被害者の供養塔が建っている場所もある。

このように道路両側のクロマツには国有林との境界を示す見出標が貼り付けられている。これは、その当時道路部分だけが国有林から除外されていたことを示すためだろう。

このように「山」と書かれた境界石も何箇所か残っている。これも当時の道路と国有林の境界を示すものだったのだろう。

ジョギングコース22番地点を過ぎて、ジョギングコースから離れ、アスファルト道路をしばらく行くと、道路右端に見慣れないものが見えてきた。近づいてみると、

別の場所でも見たことのある掲示板だと思って読むと、
3月18日頃に陸上競技場脇入口に張り出され、1週間ほどで風のためにはげてしまった標識と同じスタイルだ。
違いは、こちらの「目的」が「飛砂の防備」であることと、期間が「平成26年4月11日から平成27年3月31日まで」であること。

3月13日にエナジアムパークからこの道路を通った時には設置されていなかった(冬の間なんどか通った時にも設置されていなかった)のに、なぜ期間が終わる頃になって設置されたのか疑問が残る。

3月18日頃に設置され、3月24朝には早くもはげて風に飛ばされてしまった陸上競技場脇の標識は、その後再掲示されてない。あちらは期限が平成30年3月31日まであるはずなのに。
ここにこの標識が立ったということは、この奥で「飛砂の防備」作業が行われたのかと思って入って見たが、エナジアムパークが見える場所まで行っても、冬以降の変化は見られないようだ。

男鹿街道まで戻って、更に進む。
この小径を入ると防火線1号の入口を通り、県立大木材高度加工研究所まで行けるのだが、今朝は時間がない。マッサンが始まるまでには帰宅する必要がある。
今日の終点はここ。ロケットセンターに向かう港湾道路側入口。